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瀬戸内海各地史跡マップ

愛媛ブロック

※MAPの各市町村をクリックするとホームページが表示されます。

愛媛ブロック

史跡紹介

   
立石港より徒歩10分、立石山登山口には、今東光の小説『悪名』のモデルで有名な「麻生イト」の石像が島の変遷を見つめています。明治時代の女傑と呼ばれる一方、因島に幼稚園を建てて町に寄付したり、生名島に庭園を造営し人々に開放するなどの一面もある。   源平の昔、高縄山城主河野通信が龍神を勧請し海上安全と五穀豊穣を祈ったのに始まると伝えられ、毎年、4月29日、直径30cm・長さ45mにおよぶ大しめ縄が張り替えられ、伊予きっての異彩行事です。 鹿島から遊覧船で25分(4〜10月で予約必要)。
  現役最古の道路可動橋。列車/JR伊予長浜駅(松山から予讃線〈下り〉で約1時間)から徒歩20分。車/松山市から国道378号線・約45km・およそ50分。お問い合わせ先/大洲市役所長浜支所TEL.0893(52)1111
   
かつて瀬戸内海航路の主要中継地であった中島町粟井地区には、ここを通る廻船問屋から奉納された、絵馬が数多く残っています。 特に江戸時代の絵馬は豊富で、全国的にも珍しく貴重なものとなっています。 松山市高浜旧港〜高速艇〜町営バスで片道約45分。
  天正10年、長宗我部元親との戦いに敗れ落城。城主の息女年姫は馬に乗ったまま断崖から海に身を投じて果てたという哀話が伝えられており、この断崖を姫ヶ嶽と呼んでいる。与謝野晶子の「姫が嶽海に身投ぐるいや果ても うまして入りぬ大名の子は」の句碑があります。 JR川之江駅より徒歩で7分。
  日露戦争の時代にロシア海軍の侵攻に備えて建設された波止浜港沖合に浮かぶ小島の芸予要塞跡。島の3ヶ所に砲台跡が残るほか、展望指令台、赤レンガの地下兵舎、弾薬庫などが島内に点在しています。 波止浜港から連絡船で15分、小島下船。
   
この古墳は、下田水港から車で10分ぐらいのところにある、南北90m、東西160mの巨大な前方後円墳である。 6世紀末〜7世紀初頭に築造され、出土品も剣・曲玉等があり、大亀八幡神社に保存されている。 墳丘の内や周囲にいくつかの陪塚がみられます。 下田水港よりタクシー(車)で10分。

  亀居八幡神社の境内に、国の重要文化財の宝篋印塔がある。鎌倉時代末期あるいは南北朝時代の作で、南朝方の武将篠塚伊賀守の供養塔と伝えられて いる。中心集落を篠塚、港を篠塚漁港といい、伊賀守が村人に行った戦闘訓練と言われる、てんてこ踊りがあります。 魚島篠塚漁港より徒歩にて15分。
  町南西部の南君・立目間の海岸線に「ひらとこ」と呼ばれている平たい所がある。この崖や磯に200mにわたり何層もの流痕「海底で土砂で堆積していく時、 砂上に潮の流れた様子が刻まれたもの」があります。 干潮時小舟にて見学可。 JR吉田駅よりタクシーで15分。

   
伊予港の南西にあり、平家の落人五人の姫にまつわる伝説にちなみ五色浜と呼ばれ、海に面した松林、石造りの灯台、句碑、住吉神社、五色浜公園など散策には格好の場所です。 JR予讃線伊予市駅、伊予鉄郡中港駅から徒歩10分。
  大島は新居浜市の北東1.5kmの燧灘に浮かぶ周囲9.8kmの島である。大島は伊予水郡の統領であった村上義弘氏の生誕の地とも伝えられ本丸跡船かくし等遺跡が今も残っています。 JR新居浜駅からバス20分、渡海船15分。
  県立自然公園内の須崎の先端には、行き交う船の航行安全と漁業の繁栄を祈り、 また遠洋漁業などの遭難者の霊を慰める観音さまが建ち、やさしい眼差しで海を見つめている。 JR八幡浜駅から周木行き30分。須崎観音下車。
     
佐田岬半島の先端、四国最西端に位置し、そそり立つ岸壁に威容を誇る白亜の佐田岬燈台は岬のシンボル、あざやかに、そして郷愁を漂わせ沖行く船を照らしている。戦時中に岸壁をくり抜いて建設された砲台跡も見られます。 三崎港から車で30分、県道終点から徒歩で約20分。
  戦時中、敵の艦船や潜水艦が豊後水道に潜入するのを防ぐため作られたものです。今は、砲台跡、兵舎跡、地下壕等がわずかに残っているだけですが、当時を伺える貴重な史跡です。 内海村由良半島・網代地区 宇和島自動車・網代下車、山道を徒歩にて約2時間余り。
   

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