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瀬戸内海の歴史

朝鮮通信使往来を通じた交流

 朝鮮国から外交使節団として、慶長12(1607)年以来、12回にわたって通信使が来日し、延べ約400名の朝鮮使が瀬戸内海の港町を通っていった。
朝鮮通信使一行は、漢陽の都から陸路で釜山に向かい、そこから船で津島・壱岐を経由して下関に達する「海東への道」、下関から瀬戸内海を東上して大阪の淀川口に至る「瀬戸内の道」、そして淀川を川船で北上して京に入り、東海道五十三次を経て江戸へ向かう「東海道の道」というルートを通行したと言われる。
朝鮮通信使の往来を通じて、各地に行事や文化遺産が残され、岡山県牛窓町に残る「唐子踊り」、広島県福山市鞆の福禅寺などがその代表例である。

朝鮮通信使往来を通じた交流

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